私と伊勢音頭
私 と伊勢音頭と云う題で、全伊協の理事によるリレー執筆をせよ との事で 第一回を菊川氏が担当され、第二回を小生が当番になりました。何しろ、浅学非才の事ですので、充分意を尽くせぬところもあろうかと思いますが 次回の石原氏に期待して筆を執ることにしました。

伊勢音頭がなぜこれ程までに人々に唄われてきたかを私なりに考察してみると。
お国柄と、人情を絡み合わせて作られ
集団に愛唱されてきた歌

それは・・
1.各地の名所・名物自慢と旅情
2.各地の労働歌の悲哀と慰安。

の、内容を持っているからだと 推察されます。

それで今回は時代の推移によりどの様な課程で 伊勢音頭か醸造されてきたかその背景を年表にしてみたのでご参考になれば、と思います。

1635年
寛永12年
古市で初めて上方役者が浄瑠璃芝居を演じる。
1639年
16年
古市で初めて歌舞伎が上演される。
1650年
慶安3年
おかげ参りの集団が初めて宮川を渡る。
1652〜5年
承応年間
古市の民家96軒 中之地蔵町63軒
1669年
寛文9年
尾部坂の左右の墓地を妙見山に移す。
無縁墓は地獄谷へ投棄する。
1674年
延宝2年
藤波氏 牛谷坂改修に私財数百両を寄付。
この頃、古市の妓楼 28軒に減少と記す。
1682年
天明2年
古市 妓楼 170余軒 遊女1000余人 民家342軒と記す。
この頃古市 全盛期 1781年〜89年 天明の飢饉発生し 世状混乱不安であったので、要調査研究。
1794年
寛政6年
古市 大火 町の大半 消失す。
1796年   
8年
油屋騒動 約一ヶ月後に騒動を題材とした芝居上演される。伊勢音頭恋寝刃等。
1800年
12年
寂照寺 月遷 山門、大殿、庫裡、書院等を竣工。
1805年
文化2年
妓楼 千束屋 里登女の寄金により 牛谷坂、本格的に改修。翌年完工。
1808年
文化5年
千束屋 妓楼廃業 歌舞伎舞台用品貸衣装に転業。
1809年
文化6年
寂照寺 住職 月遷没 69歳
1829年
文政12年
江戸で評判の伊勢音頭恋寝刃で人気役者板東彦三郎 来演 古市にて初公演好評。翌年大林寺にお紺供養塔を建立。
1830年
文政13年
おかげ参り最高潮 この年の宮川の渡しを渡って参宮した人の数は459万人と記録されている。
ただし、海路で伊勢入りした人数は含まれていない。(文政神異記)
1851年
嘉永4年
旅館 麻吉 創業
1868年
明治元年
古市の 仏、寺、語の町名を 改む。
上中之郷地蔵町→桜木町 下中之郷地蔵町→中之町 常明寺門前町→倭町 妙見寺町→尾上町
1882年
明治15年
古市妓楼 28軒に減少
1888年
明治21年
油屋旅館に転業 中之町 芝居小屋廃座
1897年
明治30年
参宮線 宮川→山田間 開通 現在の山田上口駅は筋向橋駅と呼称。
1903年
明治36年
山田二見間に電車開通。
1904年
明治37年
外宮前 内宮間に電車開通
1910年
明治43年
みゆき通り(御成街道)特別国道一号線として完工する。 特別一号線 東京日本橋→伊勢内宮前。
1911年
明治44年
山田駅 鳥羽間 開通 汽車
1927年
昭和2年
古市 大火 妓楼 芝居小屋 廃業多し。
     

* 弥次郎兵衛 北へ(通称:弥次サン 北サン)は尾部坂上り口の旅籠 藤屋 に投宿 参宮した。

全国伊勢音頭連絡協議会 事務部 瀧川 達郎




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最終更新日 : 03/02/23