昨年の春頃、全国各地のホームページを開いていたら福岡県北九州市のページが目にとまった。それは福岡県に伝わる宿場踊りのことであった。

 説明文の中に初盆の供養に宿場踊りが踊られるという文面に惹かれた。盆踊りに伊勢音頭あるいは伊勢音頭より派生した唄が唄われ、踊られるところは全国各地に見られるが、初盆の供養に行われるということは会の記録にはなかった。その初盆の供養ということが頭の中にインプットされた。

 その後、第四回里帰り伊勢音頭全国大会に没頭し、大会の準備等が一段落したある日、ふっと頭の中に置き忘れていたことが芽を出し、脳をチクリと刺激した。もう、こうなってくるといてもたってもいられなくなり宿場踊りのことが気になりだした。地元の千代中学校のホームページにアクセスし、11月3日に宿場踊りが行われることを確認し、急きょ訪問させていただくことにした。

 日帰り、という事で私にとって一番嫌いな乗り物、『飛行機』を利用して木屋瀬までの取材旅行の始まりである。
 早朝五時過ぎに伊勢を発ち、電車、飛行機等を乗り継ぎ、早いもので11時には木屋瀬(こやのせ)の地に立っていた。

 ただちに宿場踊りの実行委員会を訪ね、会長の安川常雄氏そして実行委員会の方々と挨拶を交わし、踊りを見せていただくこととしたが、すでに10時に終わっていた。残念がっていると「次は1時から行われますよ」と説明を受け、始まるまでの時間を利用し、木屋瀬を散策することにした。

 木屋瀬は長崎街道25ヶ所の宿場のうちで筑前六宿の一つとして栄えた宿場町で殿様の宿泊する本陣がある。また、裏道が無くて本通りのみで細長い家屋が建っている。昔はにぎわっていたであろう由緒ある家並みが続いていて、まさしく宿場そのもののたたずまいあった。

  町おこし、そして地元の伝統文化の継承に一生懸命に取り組んでいる実行委員会の方々の姿が、私達全伊連のメンバーとだぶって見えてくる。
 木屋瀬の人たちに宿場踊りの事を質問すれば、由来等を延々と説明してくれる。それだけ郷土を愛し、自慢するだけの誇りを持っておられるのであろうと思われた。
 教えていただいた話を簡単に要約すると
 『その昔、木屋瀬の宿場にたいそう貢献した人がいた。その方が亡くなられた時、どのようにお慰めしたら良いかと皆で思案をし、宿場踊りを踊った。』
というのが起源だといわれているそうである。それ以来初盆を迎えた家は御位牌を外に安置し、宿場踊りの訪問を受け大人も子供も御位牌の前で踊るのである。

宿場踊りは、享保年間に木屋瀬の人が伊勢参りをしたときに習ってきた伊勢音頭に、大名行列の共奴の仕草や、かけ声を取り入れて作ったとされている。踊り手は道中姿を連想させる扮装で、地方は、太鼓と三味線である。踊りの種類は並手、次郎左、本手の三種類あり、並手の中の男踊りはテンポの早い七つの変わり手で構成されている。
 今回、拝見した宿場踊りは真ん中に、音頭取り地方が陣取り、その周りを子供から大人まで一緒になって踊るのである。

 踊り手の中に、踊りの音頭取りと書いて良いものかどうかわからないが、たいそう気を引かれる御仁がいた。踊りの立ち振る舞いといい、ときおり発するかけ声がまた絶妙であり、私はじっと聞き惚れていた。

 初盆の供養の際にも、このようにするのかと思い、亡くなった方は初盆で家に帰り、土地の者からこのように歓待、供養され、さぞ満足であろうと思われる。しかしまてよ、この世に未練が残りあの世に戻りたくない者が出ないか?と余計な心配を帰りの飛行機の中でニヤニヤしながらしたものである。

 盆には宿場踊りの本来の姿を見て詳しい紀行文を載せたいものである。
 新年早々、初盆や供養やら、そのような話になって申し訳ない。これも伊勢音頭という祝唄に免じて許して欲しい。

全国伊勢音頭連絡協議会
運営部 乾 勉