北陸研修会に参加して
里中 義雄

 全国伊勢音頭連絡協議会の北陸路での研修会では民謡会で活躍されている方や伝統ある祭りにお目にかかることができ貴重な体験であった。

 福井市では民謡の今重造先生を訪ねた。先生からは三味線を弾きながら津軽じょんから節、伊勢音頭などについての所感を聞かせて頂いた。耳の近くで聴く三味の音は迫力があり大げさだがオーケストラであった。ゆったりとした伊勢音頭のイントロを弾いた後、この歌はすべての民謡の元であり長く後世に歌い継がれていくよう頑張ってほしいと言うことや、津軽じょんから節の歴史、これがどうしてあのような曲になったかなどを話された。こぶしが多く取り入れられ勢いあのようなにぎやかな曲になったそうである。伊勢音頭はこぶしを入れないのが普通と聞いている。こぶしをよしとするのと、よしとしない歌い方があるのはそれをはぐくむ文化や、人々の気質の違いだろうか、最後にコンクールを行うと上手な人の歌が「本物」となり「元歌」の姿がゆがめられていく危険があると言われた。先生のお話を聞きながら感じたことは伊勢音頭が参宮土産として各地に伝えられたけれど土地の名人が代を重ねて歌い継いでいるうちにいろいろな特色を持った民謡が生まれたのではないか。今歌われているのが元歌であるという証はない。しかし、今日の社会のように民謡を歌い継ぐ機会が少なくなると歌そのものが消えていくことも考えられ、「元歌」があるならば、それはきちんとした形で残すべきであろう。

 富山県大沢野町大久保地区願念坊祭りに参加させて頂いた。地球上どこへ行っても祭りは祭りである。山車や男達がぶつかったり収穫物を投げあったり祭りの姿は各地でさまざまである。中でも”村の鎮守の神様の今日はめでたいお祭り日”から連想されるお祭りの風景は年輩の私ならずともよき時代やふるさとへの郷愁を感じるものである。訪ねた願念坊祭りはまさにイメージ通りであった。絢爛豪華な山車、赤、白、緑、黒などの色とりどりの衣装をまとった少年少女達、それに高砂願念坊節と三味、笛、太鼓はまさに日本の祭りである。この祭りの姿は里帰り伊勢音頭全国大会の舞台でしか拝見していなかったけれど、地元で見る姿はまた違った趣があった。鎮守の森、社、それを取り巻く地域の方々の中で少年少女達の舞は厳しい冬を越してこの年の五穀豊穣を願う人々の気持ちが肌で感じ取れたのである。舞の終わりのころ、ひざをつき右手を胸の前に置き祈るしぐさはまさに乙女の祈りである。

 山車とともに次の祈りを捧げる会場へ移動の道中、願念坊祭り保存会の皆さんや地域の方々から、舞や歌の歴史についていろいろ聞かせて頂いた。室町時代にこの舞が始まったこと、一時途絶えたことがあったが復活したこと、以前は山車の上にも人が上っていたということであった。その中で一番印象に残っているのは歌も違ってきていると言うことである。上手な人でなければ屋台の上で歌えなくなっているのだろうか。そうか、ここでも上手な歌が本物になってきていると言うことなのか。世は歌につれ歌は世につれ、であり歌は生き物である。

 大沢野町はきれいの一言に尽きる。整然とした町並みに清らかな水が小川を勢いよく流れ、家々の庭には季節の花が咲き道の傍らに空き缶一つ落ちていなかった。富山県が住みたい日本一の地であると言うことが理解できた。残雪に覆われた立山連峰が春霞に遮られ美しい姿を見ることができなかったことは惜しかったが、暖かな天気にも恵まれ、高砂願念坊祭りをこよなく愛する方々との楽しく有意義な一時はいつまでも心に残るだろう。
 今先生、願念坊祭り保存会の皆様に心から感謝を申し上げる次第である。


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全国伊勢音頭連絡協議会 学術部 里中 義雄